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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

日本語教師プロファイル加藤林太郎さん―日本語教師は何者か?何をしうる人なのか?について考えていく

今回の「日本語教師プロファイル」は、神田外語大学講師の加藤林太郎さんの登場です。加藤さんは共同で主宰される「糧ラボ」の活動や、Twitter(現X)での発言でご存じの方も多いかと思います。加藤さんにこれまでの歩みだけでなく、日本語教育機関の認定制度や日本語教師の国家資格化によって大きく変わろうとしている日本語教育界への思いも伺いたく、ZOOMでインタビューさせていただきました。

インドネシアに帰るために日本語教師を目指す

――日本語教師になろうと思ったきっかけを教えてください。

インドネシアに帰りたかったんです。小学校3年生から5年生まで父の仕事の関係でインドネシアのスラバヤにいたんですが、すごく居心地がよくて。何かそこに帰れる方法がないかなと思っていたら日本語教師という仕事があることを知って、日本語教師になればインドネシアに帰れるかもしれないと。それで京都外国語大学外国語学部日本語学科に進学しました。

大学での1、2年は音声学や日本語史など基礎科目であんまり実践的なことにつながるイメージがなくて、今となればすごく面白かったと思いますが、当時は、これをやって日本語教師になれるのか?と疑問に思っていました。このままじゃまずいと思っていたところ、オランダの大学と交換留学の制度ができ、その1期生として1年間留学することになりました。

――オランダはいかがでしたか。教育実習のような形で授業をされたとか。

やっぱり大変でした。教壇実習も何もしないで基礎科目だけ終えてオランダに行って、じゃあ何日から授業をお願いしますと言われ。日本語の教科書を見たこともなく、イメージが全くできないまま放り込まれたって感じで。最初に授業をしたのが自分の誕生日で、運命的なものも感じて、とにかく一生懸命やりました。授業自体はヘロヘロだったんですけど、終わったら誕生日プレゼントをもらい、嬉しかったのを覚えています。

ただ留学生活の前半は楽しかったんですけど、後半はなんかしんどかったですね。留学生活のストレスもあったのかと思いますが、授業準備していても全然アイデアが出てこなくて、朝まで起きていたりとか。そんな状態のまま日本に帰ってきてしまいました。

自分の軸となった中国での経験、そして大学院へ

――大学に戻られた後、中国にいらっしゃったそうですが。

留学から戻り、大学の専攻科に進むんですが、中国の大学を紹介してもらって、そこで3年間教えました。そこでの経験はオランダのもやもやの霧が晴れたというのが一番大きかったですね。仕事とも勉強ともつかないようなオランダの日々に比べて、契約書を交わしてプロとしてやるというのはプレッシャーもあったけれど、それなりに責任感も持たせてもらったし、仕事として楽しかったです。

その大学も日本語学部ができたばかりで、大学としても結構、野心的な感じがあって、いい先生を引っ張るということをやっていました。そこのチームに入って、みんなで共通の教案を作ろう!とか、教材分析も科目ごとに1週間に1回のペースでやっていました。よく、そういう場合ってベテランの先生がいて、日本人の若手や中国人の先生が「ハイ、ハイ」って聞いちゃうパターンが多いと思うんですが、そこではベテランも若手も国籍も問わずガンガン言い合って、その中で厳しさももちろんだけど楽しさを味わったというのが大きいです。そこが自分の軸になっていると思っています。

――帰国後、名古屋大学大学院に進まれるわけですね。

はい、大学院へは研究するために行ったというのもありますが、それより日本語教師で生きていくために次の世界を見ておきたいというのがありました。中国にいた周りの人たちは修士や博士の学生だったりして、やっぱりすごいなと思うことがあったので。自分も修士に行けばそういう風になれるかもしれないと思いました。研究は第二言語習得がメインで、特に教室の中でロールプレイをやる時、その中でどういう習得が起こり得るだろうということを会話分析的にやっていました。

修士を取った後、名古屋の日本語学校で専任講師になりました。日本語学校というところを見るのも初めてだったので、驚くこともあったけれど、こういうものなのかなという受け入れ方もできました。2校で専任を務めた後、実家のある茨城に戻って、そこにある日本語学校で教務主任になりました。

日本語学校から大学の世界へ

――日本語学校の教務主任から国際医療福祉大学に移られたのは、どうしてでしょうか。

京都で鎌田修先生がやっている日本語プロフィシエンシー研究学会というのがあり、そこに大学の同期が関わっていたんです。それで、京都に行くのが好きなので、あ、これがあるから京都に行けるって感じで行ったら、ものすごく楽しかった。僕はTシャツにジーンズでぶらりと行ってしまったんですが、周りは皆ネクタイを締めていました。でもそんなことは関係なく、日本語についてこれだけ真剣に話している人がいるのは凄くいいところだなぁと思いました。大学の方に行けば世界が広がるということが見えたので、とはいえ受け入れてくれるところがあるかどうか分からなかったけれど、国際医療福祉大学が拾ってくれて、そこで働くことになりました。

そこでは、医学部に入る留学生を育成するコースで、メディカルないしアカデミックな授業についていけるまで日本語力を持って行くのが仕事でした。

その後、現職である神田外語大学に移りました。留学生別科の所属なんですけど、交換留学の受け入れがメインのコースを担当しています。北米、中米、南米、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、ほんと世界中から留学生を受け入れて半年ない1年こちらで勉強したものが母国の大学の単位になります。

――神田外語大のキャンパスいいですよね。

そうですね。こういう語学の大学の作り方ってあるんだなってびっくりしました。

「日本語教師」についての研究

――主宰されている「糧ラボ」について教えてください。

拓殖大学の尾沼玄也と一緒にやっているんですが、尾沼は京都外大の同期で学部1年の時からの知り合いです。一緒にバンドを組んだりもしていた仲ですね。前から一緒に何かやりたいねと話していたんですが、自分も大学に移って、研究者になったので、やるんだったら自分たちの研究をしなくちゃいけないんじゃないかと考えました。特に、とにかく日本語教師は食べられないと言われてきたけれど、でも自分たちは食べてきたじゃん。その食べてきたこと、食べてきた者の責任として、それを形にすることを担わなくちゃいけないということは最初に話したことです。ですから、「糧ラボ」は大きく言えばキャリアの研究であるし、教師研究ですね。日本語教師は何者かということを明らかにしたい。

活動としては二つあって、一つは研究です。手法はインタビューがメインです。いろんな方に話を聞いて、その語りを分析して日本語教師としての在り方、歩み方が記述できるんじゃないか。そこに出てくる意識も含めて分析しようとしています。

二つ目はイベントとしてディスカッションの機会を設けています。2022年から有識者会議*1が行われていますが、開催されるのが平日の昼間なので、仕事で見れない人もいるし、後から資料を読むのも大変なので、会議を見た人も見なかった人も、夜集まって話ができればもうちょっと議論が広まるんじゃないかと思って企画しました。ZOOMを使って昨年は5回開催しました。

――SNSで盛んに発信もされていると思うのですが、それについてお考えがありますか。

特に考えってわけでもないけど、自分の名前が出てきた時、あ、この人はこういう人だなと読まれると思ってやっています。噂が回ることってあるじゃないですか。あの人どうだったとか。噂で判断されたくないので、ネットに自分のことばを残すという意味で、実名でやってます。

研究者として、自分たちがやっていることを広く知ってもらいたいし。自分が何か言えば誰かが聞いてくれるだろうという気持ちですね。みんなもこうしろよということではなく、俺はこう思うって言ったら、いやそれは違うっていう反応でもいい。大きなことを言えば日本語教育に関わる人の考えを活性化させるようなものになればいいなと思うところもあります

もっと草の根で話し合い、声を上げて

――日本語教育機関の認定制度や、日本語教師の国家資格化もあって、日本語教育界が大きく変わろうとしていると思うのですが、考えや伝えたいことがあればお願いします。

公的な議論を追いかけて話すということが、もっと草の根で行われていいと思う。例えば、どんな日本語教師になりたいとか、なんで日本語教師になったの?ってことはよく話すと思うんですけど、でもたぶん考えなくちゃいけないことは、日本語教育をすることでどんな社会を作りたいのかということだと思うんですね。法律ができて国家資格になって、社会に位置付けられた仕事になる以上は、そこに対してどんな意見があってもいいけど、何も言えないという状態のまま続けるのはフェアじゃない気がする。社会の中で日本語教師という職業は何を果たしうるのかというビジョンを、今いる人ももちろんだけど、これから日本語教育に入ってくる人には考えてほしい。というか一緒に考えていきたい。

――日本語教師の中にはパブリックコメントを出すことのハードルが高いという意見もありますが。

書き方が分からないという意見もあるようなんですが、有識者会議の時のパブリックコメントが公開されています。それを見ると一つの意見が2行か3行ぐらいなんです。資料を読んだけれどこの部分が分かりにくいので、明確にしてほしいとか、待遇の保証については継続して議論してほしい!などでいいんです。提言なので。ここで声を挙げなかったら、無いものにされてしまうんです。この社会の中でマジョリティとして声を上げることが許されているのだから、それを使わない手はないと思います。今回のパブリックコメントが終わっても、いろんな方法で声を上げることはできると思いますし。

話し合うツールとして「参照枠」を

――「日本語教育の参照枠」については、どう考えますか。

うーん、なぜCEFRなのかなとは思いますね。CEFRができた背景を考えると、複言語、複文化という理念があって、その理念の達成のために言語教育の面ではこうするんだというのがCEFRだと思うんですけど。目指すべき社会の方向性の議論がまずあって、じゃあどうする?っていうのがついてこなくちゃいけないんだけれど、あまりにもレベルや指標が先走っていないかと。指標や、やり方である程度縛ってその方向に向かわせるというのもよくある手法なのでそれも有効だとは思います。ただ、それだけだと暴走するんです。今だって、例えばJLPTのN2以上なんて基準は暴走していますよね。基準を守らせることに躍起になって、その先を見ていない。教育に携わる人間として、そこだけを暴走させる仕組みにしちゃいけないよなと思います。じゃあ、どうすればいいのか。

「参照枠」について言えば、「1.学習者を社会的存在として捉える、2.言語を使って「できること」に注目する、3.多様な日本語使用を尊重する」、という3つの理念はすごくいいと思います。ただその後に行くとよく分からない。よく分かっている人がどれぐらいいるのかとも思う。だからこそ話し続けていけばいいと思います。批判的に見るのも有りで、いろんなことを話して、その先にある理念まで行ければいい。そのツールとして参照枠があるのはいいと思っています。

日本語教師は何をしうるのか、可能性を示したい

――加藤さんのこれまでの発言に、マジョリティの特権をアンラーンするというお考えがあって、それはどういうところから来ているのかとても興味があったのですが。

上智大学の出口真紀子先生のお話を聞いて、ああ、自分のもやもやはこれだったんだと気づいたんです。何かそれでカチャっとパズルがあったような感じだったんですけど、自分自身が特権というものに無自覚であったということがわかった。

例えば、以前、医師と患者の会話分析をやっていたんですが。お医者さんというのは患者さんに対して偉そうにするというのが昔からあって、さらにそれが日本人のお医者さんで外国人の患者だとどうなるんだ?という研究をしました。するとなんだか外国人患者に対して偉そうな医師がいる。極端な例では外国人は痛いと言っても本当に痛いかどうかわからないからということで受診拒否をされた患者もいました。その時、受診拒否をされたのは、あなたが日本語が話せないからとは言えないだろう。じゃあ、日本語が上手になって言い返せるようになりましょう!っていうのは絶対におかしいと思いました。そうじゃなくて、やらなくちゃいけないのは、マジョリティが変わることです。マイノリティの力を引き出していくことも必要なのですが、どれだけマイノリティが言葉を獲得して、自己を変えて行っても、それを包摂するマジョリティの方が変わらなかったから絶対にいけないと思いました。マジョリティの側が特権をアンラーンしていくことが両輪じゃないと日本語教育が存在している意味がないんじゃないかということです。

マイノリティにできなくて、マジョリティができることは、やっぱり制度を作ることなんですよ。今、法律ができているのも、それに繋げなくちゃ意味がない。マジョリティである日本語教師の待遇の改善とかは後からついてくることだと思うんだけど、(もちろん、それも繋げたほうがいいとは思うんですよ)、誰のため?って言ったら、日本語を学習する人のための法律じゃなきゃ絶対にいけない。何のための法律かを考えたとき、なんで学習者がそこに直接関われないんだろうと思っています。有識者会議にしても学習者は一人もいないし、意見を聞く機会もほとんど設けられていないです。これから制度の見直しがある時にはそれを保障してほしいと思っています。

日本には移民政策はないと言われているけれど、僕は、これは移民政策だと思っていて、移民の言語権に関する法律が日本で動き出そうとしていると信じたいし、そうじゃないのなら、そこに繋げたいと思っています。だったらもうちょっと日本語教師の社会的役割とか位置付けをみんなで話していけないかなと思います。日本語教師は何者か、何をしうる人なのか、それを解明していきたいし、道を示すと言ったら大袈裟ですが可能性提示することができたらと思います。

Twitter(現X)で実名と顔を出している者の特権として、議論を起こしていくということをやりたいです。

制度として学習者やマイノリティの人たちを助けることができればいいと思っているので、そういうお仕事とか共同研究とかあればお声がけいただきたいです。

 

取材を終えて

加藤さんはヘアスタイルをはじめロックな風貌も特徴的なのですが、それについて伺ったところ、語学の究極の目的はその人がその人のままで生きられることだと思うので、もし学生に自分を出したいけど出せないという人がいても、教室にこういう変な教師がいたら、ああ自分を出してもいいんだなと思ってもらえるといいと思っている、とのことでした。

 

加藤さんのSNS等

Twitter(現X) : https://twitter.com/rintarock1980

糧ラボ:https://katelab2018.wixsite.com/home

Researchmap:https://researchmap.jp/rintaro_kato

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。6年前よりフリーランス教師として活動。

*1:日本語教育の質の維持向上の仕組みに関する有識者会議