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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

CEFRの本質から「日本語教育の参照枠」への向き合い方を考える(後編)

多くの反響を呼んでいる前編に続き、「日本語教育の参照枠」への向き合い方を考えるために、CEFRの本質について細川英雄さんに行ったインタービューの後編です(前編は、コチラからご覧いただけます)。後編は、複言語主義、A1からC2までの6段階、「日本語教育の参照枠」への向き合い方がテーマです。(深江新太郎)

複言語主義とは何か

――「日本語教育の参照枠」では、複言語主義についてはあまり触れられていないのですが、CEFRにおける複言語主義とは何でしょうか。

CEFRでは、ヨーロッパにある複数の言語や文化が個人の中に内在していると考えます。これが複言語という考え方です。その上で、その複数の言語、複数の文化を内在させた個人が、どのように他者と関わっていくか、さまざまな他者と共生していくか、ということを問題にしています。つまり複言語主義とは、さまざまな背景を持った人たちが共に生きていくための考え方なのです。原語の「言語共通」というのは、さまざまな複数の言語に共通の、という意味ですね。ですから、もともとCEFRには、1つの言語の能力を伸ばしていきましょうという発想はないわけですね。「日本語教育の参照枠」は、「日本語教育のための」ということなので、その出発点が異なりますね。

――たとえば、ベトナムから来た留学生が、日本に来て日本語を学んでいる状態というのも複言語の状態ですよね。

もちろん、複言語の状態です。国では英語も勉強してきていると思うので、ベトナム語と学び始めた日本語 の3つが自分の中に入り込んでいて、どの場面だったらどのことばを使うかということにある程度、意識的になりながら言語使用が行われているわけです。その意識化を促すというのも、CEFRの特色だと思います。

――それぞれの言語を活用しながら社会の一員になっていく、ということが複言語主義の肝になっているのですね。

そういうことです。学び手一人ひとりがそれを意識化していかなければなりませんし、教師もそれをサポートする環境をつくらなければならないということになりますね。

A1~C2までの6段階をどう理解するか

――「日本語教育の参照枠」と言うと、A~Cまでの3段階、細かく言えばA1~C2までの6段階の表を思い浮かべる人が多いと思います。CEFRの複言語主義という立場からは、このA1からC2までの6段階の表はどのように理解できるのでしょうか。

一人の人間、つまり個人の中には様々な言語があり文化があるというのが複言語主義の出発点です。すると、自分の中にある複数の言語の状況はどうであろうか、ということを観察する必要性が出てきます。たとえば、自分の中には、話はできるけれど書けない、反対に、文章は読めるけれど話せない、そういう言語がある、そういうことが日常的に起きる。それが、一人ひとりに内在する言語の在り方だと考えるわけです。一方、日本の英語教育や日本語教育では、4技能を全部そろえることがコミュニケーション能力向上につながるとずっと言われてきましたね。CEFRではそう考えません。つまりCEFRは、一つの言語のコミュニケーション能力を伸ばすという観点ではなく、個人に複数の言語がそれぞれあるという状態が大変貴重だと考えるのです。この発想が、「日本語教育の参照枠」と根本的に異なると言えるでしょう。その背景には、ヨーロッパで起きている移民も含めた、さまざまな移動があるからでしょうね。

そして、話す、書く、読む、聞くの能力はバラバラでいいんだけど、じゃあそれぞれの自分の言語能力がどの辺にあるのかということが全然分からなかったら不便ですよね。逆に言えば、いろいろな人と対応していくとき、別のコミュニティに入っていくときに何らかの共通の基準があったら便利だろうということです。たとえば、私の話す能力はこれぐらいです、でも、書く能力はほとんどありません、というようなことです。このような自己評価をしていくためにつくられたのがA1~C2の6段階なのです。

――なるほど。個人の中に複数の言語がある複言語主義が基本にあって、それぞれの言語の状況がどういうものであるかを自分で測るものとして、A1~C2の6段階があるのですね。

言語能力を6段階に分けるという考え方そのものは、日本語教育でも、ずいぶん昔から、初・中・上に分け、初級の前半・後半というふうに分けてきたので、決して特別なことでないでしょう。ただ、ここで注意しておきたいのは、こういう基準で自己評価したら物差しになるよというところまではCEFRは言っていますが、Aの人はB1をとらないといけない、とか、Cにならないと母語話者と自然な会話ができないというようなことはまったく言っていないということです。もともと母語話者をめざす必要はないということがCEFRの中に明記されていますから。

――そうすると、たとえば、B1、言い換えれば中級の初め、というのはどの程度の能力なのかが問題になってきますね。

そうですね。CEFRの執筆者の一人であるダニエル・コストから直接聞いた話なのですが、たとえば東京でフランス語を勉強する場合のBレベルとパリに移民として来た際のBレベルというのは違うだろう、ということです。なぜなら言語使用環境が異なるからです。ほとんどフランス語を話すチャンスのない東京で学んでいる状況と周りがフランス語で話している環境で学んでいる状況とでは、同じBと言っても、同じはずがない、というのです。

すると、じゃあBはバラバラになっちゃうじゃないか、という質問が出ると思うのですが、コストの答えは「それでいい」でした。だからこそ、記述文が必要になるというわけです。それぞれの教育機関、地域での記述は、当然、違っていいし、自分たちのところのBはこういうものですよ、ということを担当者たちが丁寧に記述し、むしろ、それを比較していくことが重要だとコストは言っていました。

――ということは一般的な言語能力の記述としてA1~C2があるのではなく、それぞれのコミュニティに即した形で、それぞれのコミュティへの参加していくためのA1~C2があるということですね。

そういうことですね。だから、世界共通のたった一つのCandoなんてありえないでしょう。ですので、絶対にやっていけないことは、固定的なCandoをつくり、それを正確に判別することを要求するような教師研修です(笑)。

「日本語教育の参照枠」にどう向き合うか

――では、これから「日本語教育の参照枠」にどのように向き合っていけばよいでしょうか。

「日本語教育の参照枠」への取り組みとしては、いろいろな方法があるはずです。さきほどから話題になっている6段階とCandoの能力記述文も、CEFRの基本的な理念からすれば、それほど大きな問題ではないですね。むしろ、「日本語教育の参照枠」の示した3つの言語教育観(1.日本語学習者を社会的存在として捉える/2.言語を使って「できること」に注目する/3.多様な日本語使用を尊重する)が、文化庁の見識を示すものでしょう。

だから、考え方としては、どこかにだれかのつくった能力記述文があるんじゃなくて、学習者一人ひとりがそれぞれ自分の能力記述文をつくっていくことができるのです。私はこんなことができる、ここがちょっと難しい、とか。重要なことは、学び手一人ひとりがこの社会で他者と共に生きていくために自分の持っている言語能力をどのように把握するかです。たとえば自分が仕事をしていくためにはどこを伸ばしたらいいかと考えて、書く力を伸ばしていこうと自分でシフトすることができます。そうすれば、与えられたものを与えられたまま学ぶのではなく、自ら主体的に自分が学ぶべきことを自分で探すことができます。そうした創造的な取り組みを、「日本語教育の参照枠」も決して否定していないです。参照枠があるからこうしなければならないと考える必要はないと思いますよ。

――地域でも、日本語学校でも、「日本語教育の参照枠」を考えていくときに、「日本語教育の参照枠」で学習者を測るというのではなく、それぞれの地域、日本語学校で、一人ひとりが社会に参加していくステップを学習者自身でつくれるというのが土台にあって、それを考えていくときの参照できる枠組みを「日本語教育の参照枠」は提示してくれている、と考えたらいいですね。

そういうことだと思います。社会あっての私、私あっての社会なんですよ。私と社会の循環をどうやってことばの活動によってつくっていくかです。これは、学習者、教師とか関係なくことばの使い手一人ひとりが考える必要があります。このような意識をすることが、社会的な行為主体(social agent)になること、私の言い方をすれば、ことばの市民になる、ということです。だから、「参照枠」に従ってどのように日本語を「教える」かではなく、たとえば、ベトナムから来た学び手の複言語の可能性をどのように広げていけるか、またその地域語や言語変種も含めた日本語のさまざまな多様性をどのように尊重していけるかを考えること、ここに「参照枠」を受け取るものの使命がかかっているといえるでしょう。

むすび

「なかむら」という芋焼酎を細川さんはロックで、僕はお湯割りでそれぞれ3杯ずつ飲み終えて、お店を出ました。細川さんが宿泊しているホテルの近くまで来て握手を交わしたとき、この話を僕はみなさんに届けないといけないと思いました。「日本語教育の参照枠」という直面した出来事に焦って対応するのではなく、CEFRの本質を味わうことで、私たちは柔軟で自由な発想を持って「日本語教育の参照枠」を活用できるようになると思います。

プロフィール

細川 英雄(ほそかわ ひでお):1949年東京生。早稲田大学第一文学部卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(教育学)。信州大学、金沢大学、早稲田大学日本語研究教育センターを経て、2001年から早稲田大学大学院日本語教育研究科教授。1983-84年フランスINALCO日本語講師、1995-96年パリ大学交換研究員。2013年3月早期退職、以後、八ヶ岳にて言語文化教育研究所を主宰。2013-2022年まで言語文化教育研究学会ALCE代表理事。主著に『日本語教育は何をめざすか』(明石書店2002)、『「ことばの市民」になる』(ココ出版2012)、『対話することばの市民』(ココ出版2022)など多数。

執筆

深江 新太郎(ふかえ しんたろう):「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。ほかに福岡県と福岡市が取り組む「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」のアドバイザー、コーディネータ―。文化庁委嘱・地域日本語教育アドバイザーなど。著書に『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』(アルク)がある。