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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

日本語教師プロファイル宮田聖子さん―ずっと日本語を教え続けるために自らの教室を

今回の「日本語教師プロファイル」では、大学の非常勤講師を続けながら、ご自分の日本語スクール「MARBLE」を立ち上げた宮田聖子さんをご紹介します。宮田さんは東京都江東区の江東国際交流協会(IAK)の理事も務め、子どもへの日本語教育や「やさしい日本語」の研修も行っているとのこと。スクールを立ち上げた理由や、これからのキャリアへの思いなどについてお話を伺いました。

目の前の人が喜ぶ仕事を探して、日本語教師に

――日本語教師になったきっかけを教えてください。

高校生の時、オーストラリアに短期留学をしたんですが、そこでご縁があったご家族とずっと仲良くさせてもらっています。それで自分も外国から日本に来る人達の役に立ちたいという思いがありました。大学卒業後の仕事は普通の事務だったので、それよりももっとやりがいというか、目の前の人が喜ぶ仕事をしたいという気持ちがあり、何ができるかなと探していました。そんな時にテレビで、日本語を学びたい人が増えて日本語教師が足りないというニュースを見たんです。これだ!と思って日本語教師養成講座に通い始めました。

ちょうど420時間の養成講座が始まった頃で、修了すると、その養成講座の日本語学校に声をかけていただきました。それで会社を辞め、日本語学校で非常勤講師として教え始めました。始めてみると日本語学が面白くて、もっと勉強したいという気持ちが起こってきたんです。学会の研修などを受けているうちにこれだったら大学院に入れるかもと思い、受けてみたら合格できたので大学院で日本語学を専攻しました。大学院が終わった頃、夫のインド赴任が決まりました。本当は日本で就職したかったのですが、やむなく一緒にインドに行くことに。でも大学院の先生が紹介状を書いてくださり、インドのジャワハルラルネルー大学で日本語を教えることができました。滞在ビザの関係で給料をもらうことはできなかったのですが、2年半貴重な経験ができました。とても優秀な学生達でした。

日本に戻ってから、すぐに声をかけていただいたので、また日本語を教え始めましたが、出産で一時中断、産後半年ぐらいで子どもを保育園に預けて復帰しました。それから現在まで、主に大学で非常勤講師として日本語を教えています。

日本人の子どものための「ことば支援プログラム」を開発

――「子どものための発達支援教室」や放課後デイサービスで、ことば支援プログラムを開発されたと伺いましたが。

はい。この活動はメンバーの都合が悪くなって今は行っていないのですが、今のスクール立ち上げにつながる貴重な経験でした。日本語教師養成を教えていた大学の非常勤講師室でいろんな分野の方とおしゃべりしている中に、子どもの発達支援を専門にしている方がいました。他にも、栄養学の方や英語教育、美術の専門家も。そこで発達支援が専門の先生を中心に、私たちが集まったら何かできるのではないかと話が盛り上がったんです。それでグループを立ち上げ、小学校低学年の子どもを対象に総合的な発達支援の活動を始めました。私はことばの支援をやることになりました。

教室は週に1回で、それぞれの教師が順番にワークをするというもので、子どもの発達の段階に合わせて教材を開発し、みんなで連絡を取り合い、内容をシェアしながら進めました。

――それは外国人ではなく、日本人のお子さん向けということですよね。

はい、そうです。本格的に発達支援をするとなると発達障害の診断が必要なのですが、そこでは診断前でも、親御さんや先生がちょっと心配だと思ったら、いらしてみませんか、というゆるい感じで始めました。子どものことばの獲得は個人差がすごくあるし、さまざまな特性を持つお子さんがいましたから、教材やワークだけでなく、授業の進め方や人や物の配置、あらゆることが起因となり、うまくいったりいかなかったりしました。少しずつ特性が分かってくるにつれて、はまるようになりましたが、毎回、どのお子さんにどのような教材、ワークを用意するか、どのように進めるか、悩みました。でもその分、多くのことを学ばせてもらいました。このときの学びは今のMARBLEの活動にとても役に立っています。

放課後デイサービスの方は、自閉症などの障害がある小学1年生から高校生までのお子さんが対象でした。こちらでは、特に認知機能にフォーカスをあてた教材や、生活に役立つワークを「ことば」を入り口にして作り、行いました。支援者さんのサポートを受けながら熱心に取り組んでくれる子どもたちのようすを見て、毎回彼らの役に立つよいワークを作ろうという思いが、心の底から沸き起こりました。

どちらも外国人に教える場合とはアプローチも内容も違いますが、用意したことがはまって、うまくいった時の喜びは共通しています。

おばあちゃんになっても、日本語教育を続けられるように

――ご自分のスクール「MARBLE」を立ち上げたのはどうしてでしょうか。

自分のキャリアデザインを考えた時に、専任になることも考えました。でも、自分の活動を元に論文を何本か書いてという発想でやっていくより、自分は、目の前の人に喜んでもらうことが一番嬉しくて、そのために教材やプログラムを作っているんだということが分かったんです。しかし大学に勤めていると、定年で仕事を切られてしまいます。だったら、定年後おばあちゃんになっても好きな日本語教育を続けられるように、今から自分の場所を作る準備をしようと思ったんです。

先ほどお話ししました発達支援活動の経験から、MARBLEは子どもも対象にした教室にしたいと思いました。場所を借りて、プログラムを作り、WEBサイトも作ってという教室を開設するノウハウも、その時に学んだので、できると思いました。どなたかをお誘いすると、その方の都合でできたり、できなかったりということが起こるので、まずは自分ひとりで始めることにしました。

現在は大学の仕事も続けているので時間的な余裕もなく、そんなに大きく宣伝もしていないのですが、子ども向けのレッスンを小規模にやっています。

新しい場所に自分のつながりを作る

――江東区の国際交流協会(IAK)の理事もされているということですが。

実は2017年に江東区に引っ越してきたんです。私はここで育ってもいないし、働くことも子育てもしていない、そういうところにポンと入ってきてしまったので、全然つながりがなかった。どう、おばあちゃんになっていくかを考えた時に、地元につながりを作りたいということがありました。それでMARBLEも江東区でやることにしました。

MARBLEで子どもも対象にすることにしたので、文化庁の「子供のための日本語教育研修講師育成コース」を受講しました。その研修の中の課題で、自分の住んでいる地域の外国につながる子どもへの日本語教育の現状を調べたのですが、江東区はまだまだ支援体制が整っていないようでした。日本語指導は外部の事業者に委託されて、全体で20時間程度の取り出し授業が終わったら他の支援は受けられないという状況でした。それでは全然足りないですよね。それを知って、私も何かできることをお手伝いしよう!と思いました。当時、「江東国際交流協会IAK」(当時は「外国語ボランティア・コートーク」)が教育委員会との共同事業で外国につながる子どもの日本語支援を行っていましたので、ここでお手伝いができたらと思い、門をたたいてみたんです。

地域の日本語教室で

――IAKではどのようなことをなさっているのでしょうか。

初めは一教師として、教えるだけでした。日本語教師が地域のボランティア教室に顔を出したりすると煙たがられるという話も聞いていたので、ちょっと心配だったのですが、IAKの皆さんは、とても温かく迎えてくれました。それで、少しずつ気が付いたことを伝えたり、一緒に考えたりしていきました。

そうしたら去年、理事になってくださいと言ってもらい、現在は理事を務めています。

皆さんに「どんなことを知りたいですか」って聞いたら、「『やさしい日本語』で話してくださいって言われるけど、何が『やさしい日本語』か、さっぱり分からない」という声があったんです。それで「やさしい日本語」はこういうものですよという勉強会をすることになりました。「入門・やさしい日本語認定講師」の資格を取っていたので、役に立ちました。因みにですが、この認定講師の講座を受けたときに、「やさしい日本語」に興味を持って地域で活動をしたいけれど、どういう風につながりを持ったらいいか分からないという日本語教師が結構いることが分かりました。

これまで何度か内部向けの勉強会をしてきましたが、将来的には外部向けもやっていきたいと思っています。3月17日には江東区が主催する「国際交流のつどい」で「やさしい日本語」コーナーを設けることになりました。

その他にIAKの理事としては、今年から日本語教育の専門家を招いての研修会を企画しています。日本語支援の皆さんは子どもの力になりたいという人が集まっていて、ハートの温かい方ばかりです。そんな子どもに寄り添う思いを持った方達に、少しずつでも日本語教育のスキルや知識を身につけてもらえる機会を用意出来たら、と思っています。IAKでの自分の役目はそういうところかなと。

教師と学習者のマッチングもできたら

――これからやっていきたいことを教えてください。

今は大学で教えていて、それも好きなんですよね。でも、これからは徐々にMARBLEにシフトしていこうと思っています。MARBLEでは教師仲間も、希望があればですが、大人向けの日本語に参加してもらいたいと思っています。大学で教えている方々は発音指導が専門だったり、ビジネス日本語の教材を出していたりと、専門的知識があり、素晴らしい教材もノウハウも持っています。それなのに組織に雇用されなければそれらを使えないというのはもったいないですよね。素晴らしい先生、素晴らしい教材を無駄にしないためにも、学びたい人とのマッチングができたらいいなと思っています。

私自身は、子ども向けをさらに充実させていきたいです。江東区に住んでいる公立校の子どもたちはIAKの方で学ぶことができるので、MARBLEでは私立校の子どもや江東区以外の子どもを受け入れています。

子どもへの日本語教育は大変なことも多いです。例えば大人と違って「座ってください」「聞いてください」と言わなくちゃいけないことから始まって、複文化の中で育つ子どもが直面するさまざまな問題への理解が必要です。人ひとりが育っていく過程にかかわるわけですから、ことばだけをただ教えればいいというものではありませんね。

でも楽しいことのほうが多いですよ。もじもじしていた子が目をキラキラさせて、自信をもって話し始めるとか。勉強がいやだと言って入ってきてもできることがあって明るい顔を見せてくれるとか。毎回、授業が終わると、ああ、楽しかったと思って家に帰ります。

――これから日本語教師になりたい人に向けて何か一言を。

日本語教師って知識を教えるという側面もありつつ、学習者をサポートしたり、応援する要素が大きいですよね。一生懸命やったことで相手が喜び、上手になるという結果につながる。喜びを共有できるので、やりがいを感じられるいい仕事だと思います。そのためには自ら勉強を続けることが絶対に必要ですし、教材を準備するときには相手の立場に立つことが大切です。それらを怠らず続けていけば、充実した仕事人生になるんじゃないでしょうか。

※MARBLEについてはこちらから

※江東国際交流協会についてはこちらから 

 

取材を終えて

宮田先生から何度も「おばあちゃんになった時のために」という言葉を聞いて、笑ってしまいました。でも、日本語教師という仕事は、高齢になっても、組織に属さなくても、続けることができるのだということを再認識。そのための準備は必要ですね。また、それまでなじみのなかった新しい場所でのつながりの作り方は、とても勉強になりました。

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。7年前よりフリーランス教師として活動。