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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

CEFRの本質から「日本語教育の参照枠」への向き合い方を考える(前編)

現在、「日本語教育の参照枠」を活用した実践をどのように行うか、について関心が集まっています。「日本語教育の参照枠」はCEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)から生まれたものなので、CEFRの本質を理解できれば、「日本語教育の参照枠」をより活用できるようになるはずです。そこで『対話することばの市民―CEFRの思想から言語教育の未来へ―』(ココ出版2022)を上梓した細川英雄さんに、CEFRの本質から「日本語教育の参照枠」への向き合い方を考えるためのインタビューを行いました。その前編です。(深江新太郎)

CEFRと細川さんのつながりについて

―― CEFRの日本語訳が出たのが2004年ですが、細川さんがCEFRと出会ったのは1995年と聞きました。どのようにCEFRに出会ったのですか。

1995年から1996年にかけてパリ大学交換研究員としてフランスに滞在しました。その動機は、第二言語としてのフランス語の教育について知りたいと思ったからでした。多くの移民の受け入れの歴史もあり、外国語としてのフランス語教育の層の厚いことを聞いていましたから。そのため、いくつかの教育研究機関を回り、研究会に参加したのですが、そこで出会ったのが、CEFRの執筆者の一人であるダニエル・コストやコストの同僚にあたるジュヌヴィエーヴ・ザラトです。CEFRが公開されたのは2001年で、試行版の公開もまだ、つまり現物そのものはまだ見ていない状況でしたが、その議論に大きな影響を受けました。当時は、CEFRではなく、「ヨーロッパの枠組み」という言い方を関係者ではしていました。そのヨーロッパの枠組みの中身について、みなと議論をしていくうちに、それがどういうものであるか1年間の滞在の中で、少しずつ見えてきました。

―― 具体的にどんなことに影響を受けたのですか。

まず、言語文化教育という分野があるということを知ったのが大きかったです。言語と文化が一体化したものであるという考え方は、言い換えれば、その当時から、言語習得だけが目的ではないという考え方があったということです。言語習得を目的化しすぎると、状況が見えなくなるということを、当時すでにいろいろな人が言っていました。もちろん習得を否定するものではないのですが、それが目的化されてそれ以外が見えなくなると、言語文化教育として意味を失うということが盛んに言われていて、それはとても衝撃的なことでした。

―― 言語習得が目的化されるとそれ以外が見えなくなるというときの「それ以外」とはどんなことですか。習得以外というのがCEFRともつながってくると思うのですが。

一言で言えば、人間の形成です。言語と文化の教育というのは、ことばを教えることやことばを覚えるという話ではなく、人間が一人の個人として形成されていくプロセスだと考えます。すると、一人一人の個人が、ことばを使って何をするのかということとつながっていきます。言語習得を目的化し過ぎると、それが見えなくなるからです。

CEFRとは何か

―― では、CEFRとは何でしょうか。

CEFRを理解するためには、まず欧州評議会(council of europe)の存在とその言語政策を考えなければなりません。フランスのストラスブールに本部を置く欧州評議会は、欧州連合(EU)の教育文化面を支える機関として戦後まもなく1949年に開設されたものです。ヨーロッパが直面した2つの世界大戦の歴史を踏まえて、そこからどうやってヨーロッパを統合していくかという社会的課題に取り組んでいくための言語政策を構想してきました。1番の目標は、ヨーロッパとしての社会的結合(social cohesion)です。ヨーロッパは、第1次大戦、第2次大戦を経て、最終的にはナチによって壊滅的な打撃を受けます。ここには、ヨーロッパが民主主義を一時的に失ったからだという強い反省の意識があります。だから、民主主義社会をどうやってつくっていくかというのが、社会結合の根幹にあるのです。そのためには、一人一人が民主的な市民でなければならない、というのが次に来ます。そしてその市民を形成するための言語教育、つまり一人一人が民主的な市民となっていくための言語教育、正確に言えば言語文化教育が必要となるわけで、その言語政策のツールがCEFRなのです。

―― では、「日本語教育の参照枠」にも記されいる「学習者は社会的存在である」とは、CEFRにそくせば、「一人一人は、戦争を繰り返さないように民主的な社会をつくっていく一員である」という意味ですか。

もちろんそうです。一人一人が社会的な行為主体(social agent)として、自律的に生きていく必要があり、だからこそ、ことばによる活動が必要になります。ことばによる活動は、学習者であろうと教師であろうと言語の使用者であるかぎり、同じように民主的な社会をつくっていこうとする行為主体によって成り立ちます。これはCEFRの一番、最初に書かれていることです。

行動中心のアプローチとは

――では、CEFRの行動中心のアプローチについてですが、これは社会的行為ということとどのようにつながるのでしょうか。Can doということばが広く使われ、行動中心のアプローチ=Can doというふうに考えられがちですが、そもそも行動中心のアプローチとはどういうものでしょうか。

行動中心のアプローチの「行動」の原語は「action」で、行動と訳すよりアクションのままのほうがよいのではないかとぼくは考えています。行動というと、心理学の行動主義のビヘイビア(behavior)と結びつきやすいので。CEFRの文脈から考えれば、このactionはつねに社会的な行為主体になるという意味で使われています。したがって、そこには社会という意味が含まれていて、さらに言えば、民主的な市民となるための活動、自らが社会的な市民であることを自覚できるような活動と捉えることができます。だから、アクション・アプローチとは、民主的な市民としての意識を持てるような活動と言えます。

ではどうして、アクション・アプロ―チという言い方をするかと言えば、それ以前からあるコミュニカティブ・アプローチと関係があります。アクション・アプローチは、コミュニカティブ・アプローチに対抗してつくられたものなのです。1970年代にイギリスから出てきたコミュニカティブ・アプローチは、ことばは知識だけではなく、どうやって使っていくかという運用の部分に焦点を当てなければならないという概念・機能シラバスに基づいた考え方によっています。そこから、プロジェクトワークやタスク中心主義というものが生まれます。ところが、それはコミュニケーション能力の向上というところに完璧にシフトしているのです。さきほど、言語習得の目的化について言いましたが、コミュニケーション能力を向上させるために、コミュニカティブ・アプローチが開発されたと言ってもいいわけですね。

一方で、欧州評議会の提唱するアクション・アプローチは、そのコミュニカティブ・アプローチを超えようとするものです。言語教育は、コミュニケーション能力の向上だけに目を向けるのではなく、私たちが社会をどうつくるか、民主的な社会をどうつくるかを目ざしたアプローチでなければならない。それが、アクション・アプローチです。ところが、日本語教育でも英語教育でも、コミュニカティブ・アプローチとアクション・アプローチは混同されていますよね。CEFRに準拠したコミュニケーション能力育成教材みたいな(笑)。だから行動中心のアプローチというと、プロジェクトワークやタスクベースのようなものが出てきて、Can doを出して「こういうことができるようになる」と考える。これが行動中心のアプローチと思い込んでいる人がほとんどです。そうではなく、その先に行かなければいけない。それはなぜかというと、CEFRのアクション・アプローチは、この社会の中で一市民として活動するとはどういうことかを考える活動でなければならないからなんです。

後編に向けて

今回のインタビューは、この8月末に細川さんと福岡市内の手羽先がおいしいお店で食事をした際にお話を聞いたことがきっかけです。せっかく九州に来たのだからおいしい焼酎が飲みたいという細川さんと、「なかむら」という芋焼酎を飲みつつ盛り上がったお話の一端をご紹介しました。

後編は、「日本語教育の参照枠」ではあまり取り上げられてない複言語主義、そして「日本語教育の参照枠」にどう向き合うかがテーマです。どうぞお楽しみに。またCEFRについては、言語文化教育研究学会の「対話の場」(2023年9月28日)でも取り上げられます。

言語文化教育研究学会

第4回:2023年9月28日(木) 20:00~21:00
「CEFRの理念はどうなった」ゲスト:神吉宇一さん(武蔵野大学)

https://alce.jp/dialogo/#sched

プロフィール

細川 英雄(ほそかわ ひでお):1949年東京生。早稲田大学第一文学部卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(教育学)。信州大学、金沢大学、早稲田大学日本語研究教育センターを経て、2001年から早稲田大学大学院日本語教育研究科教授。1983-84年フランスINALCO日本語講師、1995-96年パリ大学交換研究員。2013年3月早期退職、以後、八ヶ岳にて言語文化教育研究所を主宰。2013-2022年まで言語文化教育研究学会ALCE代表理事。主著に『日本語教育は何をめざすか』(明石書店2002)、『「ことばの市民」になる』(ココ出版2012)、『対話することばの市民』(ココ出版2022)など多数。

執筆

深江 新太郎(ふかえ しんたろう):「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。ほかに福岡県と福岡市が取り組む「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」のアドバイザー、コーディネータ―。文化庁委嘱・地域日本語教育アドバイザーなど。著書に『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』(アルク)がある。